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「ブチ猫と花と太陽と」

SS:白サイ(なーすほるん)

挿絵:灯子(地元にはありません)


「あれ、また来たの?」
うな〜〜〜
春の長閑な空の下、花の手入れをしていた紅魔館の門番、紅美鈴は足元に擦り寄ってきた可愛らしい侵入者を抱き上げた。
名も無いブチ猫。ちょっと傷があるくらいで首輪も何もない、どこにでもいそうな猫。
地面に降ろして頭を撫でると、ブチ猫は暴れることも無駄に動くこともなく、かといって眠るわけでもなく、気持ちよさそうにのんびりゆったりとし始める。
「あのね、私ずっと変な名前で呼ばれてるって何度も言ったでしょ?」
理解しても憶えてもいないだろう。けれど、美鈴には特にどうでもよかった。
取り敢えず、日々のストレスを愚痴として吐き出されば、それは誰でも良かった。
袖を捲り、雑草を抜きながら、だらけるブチ猫に話しかける。
「紅白の巫女も白黒の魔法使いも、紅魔館のみんなだって……」
このことなんか特に、一体何回言ったことだろうか。
来てくれるたびに毎回言ってるはずだ。
「もう私の名前普通に呼んでくれる人ってほとんどいないの」
うなぁ〜
……時々言っててすごく悲しくて、涙が出ることもあったりする。
そんなときも、猫は変わらぬ鳴き声を上げる。
「……紅美鈴、中国じゃないもん……………………」
「――――中国〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ」
「……………………は〜〜〜〜〜いっ」
目の幅の涙を流しながら、美鈴は返事をした。
泥だらけの手をバケツの中の水で洗い流し、手で水を払ってから、猫を摘んで下ろした。
「丁度いいから、終わったら食べるもの持ってくるから待っててね?」
うな〜〜っ
……なんか嬉しそう。やっぱり言ってること分かってるんじゃないかコイツ?
そんな風に思いながら、この猫がますます可愛く思えてきた美鈴は、館の中に走る。あまり門をほったらかすことも出来ないので、急いで。





………………
…………………………
「―――――ありがとう、助かったわ」
「いえ、大丈夫ですよ」
レミリアが『模様替えするわ』と言い出して、人手が足りなくなったらしかった。
……まあ、ほとんどが妖精メイドで力持ちってわけでも全然全くないから仕方がない。
実質咲夜と美鈴が行った模様替えだったが、結局のところレミリアの気まぐれで、家具の移動はあっちこっちに動かした挙句最初の場所に戻すこともあったりした。
ベッドを動かす際などレミリアはそこから下りることはなく、悠々と寝転んでいたくらいだ。
「…………あ、そうだ。咲夜さん」
「ん?」
「残飯とかありません?」
「また? あるけど………………そんなに空腹? 夕食もすぐなんだけど」
「私じゃないです」
取り敢えず手際よく用意された残飯は適当な鍋に入れられて、美鈴に手渡された。
「お腹壊さないでよ?」
「だから私じゃないですって……」
「調子崩しても自己責任だから」
聞いちゃいない。
結局最後まで勘違いされたまま、美鈴は花畑へと戻る。
……しっかりと、ブチ猫は待っていた。最初下ろした場所から動いていないような気がする。
「はいこれっ」
うな〜〜〜〜〜っ
すごく嬉しそうだ。もう今にも飛びついて……………………きた。
「痛っ!? ちょっと爪立てないでよっ、破れるからぁ!」
食い散らかされても困るので、隅っこの方へ誘導し、鍋を地面に置く。
すぐにガツガツと食べ始めた。
「すごい食べっぷりね」
聞いちゃいない。さっきの反応とは大違いだ。
以前こんな風にして食べてるところを撫でようとしたらものすごく威嚇された上にひっかかれたので、見るだけ。
ものすごい勢いで食べて、かなりの量があったと思われた鍋は空になる。
「あんた化け猫?」
疑いたくなるくらい大量に食したブチ猫は、すごく満足したのかよろよろとした足取りで、帰ってゆく。
その後姿も微笑ましく、美鈴は門の外へ出て行くまで後ろについて歩いた。
「………………また来てね」
手を振って、夕暮れの空の下、ブチ猫を見送った。
そのあとは花の手入れに戻り、警備の部下と門番を変わり、しばらくすると夕食で呼ばれた。
……しかし。
出された皿の上に盛られている料理を見て、美鈴は咲夜に異を唱える。
「…………あの」
「ん?」
「少なくないですか?」
目に見えるくらい。
「あれだけキレイに食べたんだから少しでいいかと思ったんだけど」
「だから私じゃないんですって……」
結局、皿は追加で持ってきてもらったが何故か量は普通の二倍ほどにされてしまい、残すわけにもいかないので、美鈴はすごく頑張って全部食べきった。その時はレミリアでさえ感嘆の声を漏らすほどだった。
……おかげでその食後、美鈴は大食いが出来る程度の能力を持っていると紅魔館で話題になった。
それも話に背びれや尾ひれが大量にくっついて、ミノカサゴみたいなことになった状態で。
…………
………………
……………………
「…………はぁ」
うな〜〜〜
この日もあの猫はやってきた。
門番をしながら、肩の上の猫に愚痴を垂れる。
「みんな酷いよね……」
あまりに食べ過ぎてうんうんと魘されながら眠っていたにも関わらず、朝食も大量だったおかげで美鈴の動きは鈍い。
ちなみに、ちょっと美鈴のお腹が出ていることに突っ込んでしまった警備が一人、外壁にめり込んでいたりする。
「……そういえばあんたの所為よ」
うな〜〜〜うなうな〜〜〜〜
「そんなの関係ねぇっ、って?」
猫語が一瞬分かった。あまり嬉しくない。
「まったく…………」
可愛くないな……と言いかけて、止める。
やっぱり、可愛いから。
「……ん?」
猫の足に目をやった美鈴は昨日との変化に気付いた。
「また怪我したの?」
決して深くは無い傷だが、血が滲んでいる。
手で抱き上げて確かめると、他にも新しい傷がちょこちょこと見て取れた。
「ちょっと、大丈夫?」
うなぁ
……困ったやつだ。
美鈴は走って館内に戻り、包帯と消毒液を持って戻った。
「…………あれ?」
―――いない。
辺りを見回すも、影も形も臭いも無い。
餌もまだだったのに、どうしてか帰ってしまったようだ。
「どうしたのかな……」
でも、きっとまた来るだろう。
その時に怪我していたらすぐ治療できるように、美鈴は包帯と消毒液をポケットに突っ込んだ。


「…………どうしたの?」
数日後、やってきたブチ猫は元気がなかった。
怪我をしたわけでも無いみたいだが、いつもの気持ちのいい気だるさが、調子の悪さに変わっているようだ。
風邪かなにかかと思ったけれど、鼻先は濡れてるし、くしゃみもしない。
……しかし怪我は増えていた。耳も少し欠けている。
「どうしよう……私じゃ包帯巻くくらいしか出来ないし……」
ここからあまり離れるわけにもいかない。
だけど取り敢えず、小さな怪我には包帯と消毒を施す。
その間ずっと猫は嫌がっているが、我慢してもらう。
「もうっ、じっとしてってば!」
ふにゃーーーっ!
「あっ!」
ほとんど処置が出来ないまま、猫は逃げていった。
「………………」
しかしいい予感がしない。
だけどここからは動けない。
どうすればいいのだろうか…………
「―――――邪魔したぜ!!」
「……………………」
「…………おい、なんだ、いつもみたいに止めないのか?」
「……え?」
白黒の魔法使いが飛び出してきたが、美鈴はほとんど反応しない。
「どうかしたのか?」
魔理沙が美鈴の前に降りてきた。風呂敷には恐らくは図書館から拝借した本が入っているのだろう。
「猫…………」
「あ?」
「猫がね――――」
紅魔館の誰かに言っても無駄だから。
せめて数少ない来客にでも言わなければ。
美鈴はあのブチ猫のことを魔理沙に話した。本を借りに(正確には盗みに)来てまさかこんなことになるとはまったくもって思っていなかった魔理沙も、笑うことなくその話をじっと聞く。
「…………ふぅむ。なるほど」
「どうすればいいんだろ……」
「任せとけ―――って言えればいいんだが、生憎猫には詳しくないからなぁ………………」
「そう…………」
「おいおいそう落ち込むなよ。詳しいヤツ……うん、詳しいヤツなら知ってるぜ」
「本当?」
「ああ。明日にでも連れてきてやるよ」
「………………お願い」
「じゃあなっ!」
魔理沙が去る。門番としてどうかとも一瞬思ったが、今は猫のほうが心配だ。
空の向こうに消えた白黒に期待を寄せながらも、この日はずっと上の空だった。
「――――中国?」
「…………」
「あれ……? ちょっと、中国っ?」
「………………え?」
咲夜が二度呼びかけて、美鈴は顔を上げた。
最近ずっと大量に運ばれる料理をいつも以上に苦しげに平らげて、また仕事に戻ろうとしていたが、足取りとか雰囲気が色々と危うかった。
「やっぱりあんなものばかり食べてるから……」
「…………」
違う、とも言う気が起きなかった。
「胃薬くらい準備しておくから、ほどほどにね」
あの咲夜に心配されるくらい美鈴は不安に苛まれていた。
どうしてここまで不安なのか。あの猫がどうしてここまで心配なのか。
「…………ああ、そっか」
いつも隣に来てくれて、変わらない呑気さを振り撒いて、愚痴をどれだけ言っても聞いてくれて、餌を遠慮もせずにガツガツ食べて。
もうあの猫は、可愛いらしいお客さんじゃなくて、大切な友達になってたんだ……………………………………………………



美鈴は門の前であの猫を待っていた。
すると、いつもの方向からブチ猫はやってきた。
…………ただ様子が少しおかしい。
「あっ……」
左の後ろ足を引き摺るように歩いてくる。美鈴は慌てて駆け寄り、猫を抱き上げた。
「酷い…………」
どうなんだろうか。折れてはいないようだが、かなり大怪我だ。
応急処置のレベルじゃない。命にこそ関わらないかもしれないが、放っておくことは出来ない。
ただ、どうすればいいのかが分からなかった。
………………………………
「よしっ」
門に入り、館内に駆け込む。
とすぐそこに探そうとしていたメイド長を見つけて、駆け寄る。
「――――――どうしたの?」
「猫です!」
「見れば分かるけど…………怪我してるの?」
「任せてもいいですか!?」
「え……ええ、いいけど」
必死な美鈴の様子に圧倒された咲夜は猫を受け取る。
そして、急いで門の前に戻った。こんなときでも仕事は忘れない。
「………………ふぅ」
取り敢えず安心だ、食材だと勘違いさえしていなければ。
……………………………………
「わああああああああああああああああっ!!!!!」
「………………声大きいわよ」
「うわあああっ!?」
てんやわんやの美鈴。いつの間にか咲夜は背後に立っていた。
「はい、取り敢えず出来るだけはしたわ」
「あ…………ありがとうございました!」
包帯だらけになった猫を渡されて、すごく嬉しそうな美鈴。
「貴女最近様子が変だと思ってたら、その猫だったのね」
「はい」
うな〜〜〜〜〜
いつものように肩に乗せると、いつものようにだらけ始める。
「随分懐いてるようだけど……」
「なんででしょう? 私にも分かりません」
ようやく安心出来た美鈴と、暇をしているように見える咲夜は猫をちょこちょこ構う。
………………と、上空から『お届けものだぜ!』と声が。
「「え?」」
二人が空を見上げると、白黒の影が何かを投下したのが見えた。
何かは人の形をしている。
「にゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
猫みたいな鳴き声を発しながら自由落下してきたそれは、激しく地面に激突した。
べたんっ!
「ぎにゃっ!!」
うつ伏せで大の字になったまま動かない誰か。
白黒の魔法使いは『毎度あり〜〜』とそのまま箒に乗って去っていった。
「…………何これ」
「猫みたいですね…………あ」
と美鈴ははっとした。もしかしたら魔理沙が言っていたのは……いや、もしかしなくてもこの化け猫なんだろう。
……だが、まだ動く気配がない。やや地面にめり込んでいる。
「…………あの」
「……うぅ…………痛い……」
真っ赤になった顔を上げる、二つの尻尾を持つ化け猫。
「あなたが、猫に詳しいっていう……」
「……あたし自身猫だけどね……………………ん?」
涙目の妖怪猫は視線を美鈴の肩でだらけている包帯だらけのブチ猫に向けた。
そしてむくっ、と起き上がり、猫と睨めっこを始める。
「むむむむ………………」
にゃあ〜〜〜〜
「…………ふぅん、そっか」
笑顔になった。
「あなた名前は?」
「橙って言うの。もしかしてアンタ達がこの子の恩人なの?」
「へ?」
「あら、私は何もしてないわ」
「じゃあアンタなの?」
「??」
話がよく分からない。美鈴は橙に詳しく説明を求めた。
「――――この子、猫の中ですごく苛められるの」
「え…………」
「ダメって言っても聞いてくれなくて、喧嘩も弱いからいつも負けてて……あたしが餌を上げても、ちょっといい餌だとすぐ取られちゃうの」
「……ダメ猫ね」
「……………………」
美鈴は咲夜の言葉に少し腹が立たないこともなかったが、実際そうだ。
もうその時点で、自然で生きていくのは難しいと言わざるを得ない。
まさにおちこぼれ、と言う言葉がぴったりなのだろう。
「ちょっと前までは喧嘩もしなくなって猫の輪から外れたりもしてたけど…………餌を貰って、ちょっとずつ元気になってね。すごく優しくしてくれるって喜んでたの」
「………………」
「それで、最近になって、自分で頑張って餌を取れるようになろうとしてるの」
「いい心がけね」
「でもやっぱり弱いから傷ばっかり増えて、この前も強引に止めなかったら大怪我してた。だけど、この子はまだ頑張るって言うの」
「……どうしてそこまで?」
ここにくればいつだって餌も上げるし、手当ても出来る。
むしろ、もうずっとここにいたっていい。そんなに危ないことを続けるよりも、ずっと安全なのに………………
「―――――恩返し、したいんだって。きっと妖怪にはなれないけど…………普通の猫でも出来ることはあるから」
優しい眼差しで、橙はブチ猫の頭を撫でる。
「そんなことしなくてもいいのに……」
「この子も野良猫だからね、誇りくらいちゃんと持ってるの」
「………………」
「でも、やっぱりここに来たら優しくして上げてほしい。頑張ってるご褒美くらいあげてもいいと思うから」
「……うん」
「まあ、手当てくらいいつでもしてあげる」
橙は満足げに笑った。
美鈴も、もっとブチ猫を応援してやろうと気を張る。具体的に何するかとかは無いが。
しばらく三人で猫を構っていると、猫が肩の上で立ち上がった。ぐっと伸びをして、地面に飛び降りる。
「じゃあ、帰るみたいだから」
「ありがとう」
「それはあたしの台詞」
「また来てね」
「うん――――あ、名前……」
「めいり―――」「中国っていうのよ」
「じゃあ中国さん、また」
「……………………………………はい」
何故かすごく満足げな咲夜の隣で、美鈴はうな垂れながらも手を振る。
猫と橙が見えなくなるまで見送ると、ちょっとだけ新しい気持ちで仕事に戻った。
あの子も頑張ってるから、自分はめげちゃいけない。
もう少し辛いことでも堪えられそうな、そんな気分だった。





「………………はぁ」
雨。
土砂降りではないが、憂鬱なくらいの勢いで降っている。
美鈴は傘を差して門番をしていた。
「……」
朝から変な胸騒ぎがしてならないでいた。
もやもやが晴れず、心の中を霧が埋め尽くしている。
嫌なことがありそうな不吉な感覚。意識を掠める、あの猫のこと。
いても立ってもいられないのに………………ここから動けない。
また白黒の魔法使いが来てくれればどんなに楽か。
いや、もう紅白でも虹色でもいい。とにかく、自由な人が来て欲しい…………
「……中国」
「はい?」
咲夜が傘を差して背後にいた。
「変な考えは頭から捨てることよ、嫌な妄想は現実になり易いから」
「はい…………」
……だが、まるで不安を増長させるかのように、雨足は激しくなる。
咲夜は館内に戻った。美鈴も戻ってもいいと言われたが、なんとなく、こっちにいたかったから、残った。
――――すると、遠くに黄色い何かが見えた。
段々近付いてくると、それが人の形をしていることが分かった。
走っているらしい…………あ、転んだ。
起き上がって走り出すと、また転ぶ。
かなり近くまでくると、それがあの橙だというのが分かった。
黄色い雨合羽を着て肩で息をしながら…………美鈴の目の前でまた転んだ。
「大丈夫…………?」
顔が泥だらけになった橙だが、それを拭くこともせずに美鈴に言う。
「大変なのっ……!」
「え?」
「うぅっ、だけど、ここから動いたらダメだから……」
「え??」
またよく分からないので、説明を求める。
だが、やはりとも言うべきか…………その内容は、不吉な感覚のままだった。
「―――あの子が喧嘩して大怪我したのっ!」
「え…………」
雨の音が、強くなった気がした。
「だけど喧嘩には勝って、初めて餌を自分でとって………………」
橙の息が切れる。大きく深呼吸して、もう一度。
「連れてくって言っても絶対に嫌だって……自分であの人のとこまで持っていくって…………ダメって言っても聞かなかったの、ずっと決めてたことだからって…………」
――――初めてとったものはあの人に。
おちこぼれの猫の誓いは、誰が思うよりも強く、絶対的なものだった。
今にも走り出しそうな美鈴、橙は、それを引き止める。
「行ったらダメなの! あの子の誇りだからっ…………行きたいけど、絶対ダメなの!」
無理にでも医者に連れて行こうと思えば出来たのだろう。だが、それをさせないくらい、ブチ猫の意志は強かった。
待つしかない、それが辛かった。
――――迎えに行ってしまえばいい、抱き上げて、手当てしてあげればいいんじゃないか?
……………………だけど。
きっと、あの子はそれを望まない。
「待たなきゃダメなのっ…………いつもみたいに、足元まで行くからって……!」
橙も泣いている。雨が顔を泥を流して、どれが涙か分からない。
美鈴は、気持ちを押さえ込んで、待った。
それがあの子の意志なら、曲げることの出来ない決心ならと………………
昼だというのに、空は暗い。
雨は止まない。もう土砂降りだ。
……………………………………そして、雨粒の彼方。
微かな色が見えた。
「あっ………………」
自然と足が前に出そうになった。だけど、橙が涙を零しながらその腕を掴んでいる。
……その涙は、事実を一つ意味している。
美鈴も理解はしていた。納得をしていないだけで………………
「もういい…………もういいよっ……」
あの猫はすごく遅い足取りで、こっちに歩いてきている。
フラフラと、今にも倒れそうで、頼りない。
いつの間にか美鈴も泣いていた。傘を捨てて、自らも雨に打たれて、おちこぼれだった猫を待つ。
永遠のような時間が流れる。
…………この様子を誰かが見たら、どれほど滑稽なものに見えるだろう。
むしろ残酷な行為に映っても仕方がないかもしれない。
それでも、待った。
次第に猫のシルエットが大きくなる。
そしてその全身が血塗れであることも、よく見えた………………
水が苦手なはずなのに……体力もないはずなのに……傷だらけのはずなのに……血だって失ってるはずなのに……
「頑張って! もう少し……もう少しだから!」
かける言葉も変わった。
……ちょっと猫が笑ったような気がした。
気持ちだけ、歩調も早まる。
―――――――そして。
真っ赤に濡れたブチ猫は、美鈴の足元で、顎の力を緩めて、一匹の、小さな鼠を落とした。
………………うなぁ
そして雨音で掻き消されそうなくらい、小さくか細く鳴くと、満足したように地面に体を横たえた。
すぐに抱き上げようと美鈴は手を伸ばして…………止める。
本当に最後の力だったのだ。
猫は……………………事切れていた。
「っ…………鼠なんて……食べられないよぉ………………」
美鈴は、泣きながら、精一杯の笑顔を浮かべた。
悲しんじゃこの子が報われない。
――――よくやった、お前は立派な野良猫だった。
そう言ってやるのが一番だから。
………………雨が、上がる。
雲が切れて、そこから眩い輝きが溢れた。
誇りを纏って最期を迎えた猫へのご褒美のようだ。
きっと、大好きだった日の光を浴びながら、昇っていくんだろう。
「……………………ありがとう…………」
「うぇっ……ひっく……ぅぅっ……」
光る空を仰いで、美鈴は、最後に一筋の涙を流した……………………………………



「―――――――そう」
湖の辺に作られた簡素な墓の前に、話を聞いた咲夜と、花畑から摘んだ花を持った美鈴と橙は立っていた。
本当は花畑の近くに作りたかったのだが、やっぱり一日中日の当たる場所がいいと言うことで、開けた場所に作った。
「お〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いっ」
…………何故か魔理沙も飛んできた。特に図書館に来たわけでもないらしい。
着陸すると、雰囲気を察したのか口をつぐむ。
花を置いて手を合わせる。

穏やかな風と日差しの中、四人の少女は、誇り高き野良猫の安らぎを祈った。





「――――そういえば中国さん」
「ん?」
「鼠どうしたの?」
「え………………あ、うん」
美鈴は適当に頷く。
…………適当に捌いて厨房の適当な鍋に放り込んだのは、秘密だ。


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